Portraits of Roses

横浜イングリッシュガーデン(YEG)のバラを中心に様々なバラを紹介します

ティー・クリッパー Tea Clipper

コレクションがやめられない

 

前回のバラが「ミントティー」だったので、お茶つながりのバラを。

 

ティー・クリッパー Tea Clipper

イギリス 2006年
デビッド・オースチン作出

すてきな色。オースチンのバラって、品があって名付けも含めて、ロマンチック。

 

 

「ティー・クリッパー」とは、19世紀に中国からイギリスへお茶を運ぶために作られた大型帆船・高速帆船のことです。

中国の新茶をイギリスへ運ぶ競争(ティー・レース)が行われたりしました。
一番早く茶を届けた優勝船には、報奨金が支払われたため、熾烈な競争が繰り広げられたそうです。

 

ティー・クリッパーとして有名な船の「カティー・サーク」。
イギリスのグリニッジで保存展示されている、現存する唯一のティー・クリッパーです。
この船は熾烈なティー・レースが行われている時代に発注されたのですが、船が出来上がったのと同じ週にスエズ運河が開通し、高速船の時代は帆船から蒸気船へと移り変わって行きました。

カティー・サークは茶貿易においては、じきに時代遅れとなってしまい、茶を積んで中国へ航海したのは、8回。その後は時々の荷を積んであちこちへ運ぶ、何でも屋に。やがてオーストラリアから羊毛を運ぶようになります。
羊毛運搬船としては、それなりに活躍したのですが、船が老朽化しメンテナンス費もかかるため、船主がポルトガルの貨物船会社に売ってしまいました。
名前を「フェレイラ」と変えられて、またあちこちへ。いよいよ廃船かというときに、以前船長業をしていた男がこの船がかつてのカティー・サークであると見抜き、イギリスへ戻そうと高額で買い取って、帰国がかなったのです。
イギリスに帰り着いたその後も幾たびかピンチがあったのですが、それを乗り越えて今にいたります。
その変遷を考えると、強運な船と言えるのかもしれません。

 

1970年代、カンロ(株)から、カティ・サークという名前の紅茶の飴が販売されていて、パッケージに帆船の絵が使われていました。
子供心にも帆船って何かロマンを感じました。(当時はカティー・サークが数奇な運命をたどった船とは知らなかった)紅茶の飴はちょっと大人っぽいイメージもあって、その世界観にほんのりとした憧れを持っていました。
そんな気分は大人になっても消えることなく、今も船や灯台グッズを見るとときめいてしまいます。
色々集めた置き物はたまに飾るけれど、カード、ノート類はもったいなくて、なかなか使えないです。

 

帆船の置物はイタリアのジェノバで。メイド・イン・アジアかもしれませんが。
同じ旅で、灯台の置物も7つも買ってしまった。

モノが増え続けると困るので、置物、飾り物の類は極力買わないって決めているのだけれど、旅に出ると規範がゆるくなってしまう。
せっかくだから記念に、もう来れないかもしれないし、とか。

近頃、年を取ってきて、物欲が減るのと同じく、意欲も衰えている気もするし、むしろ、モノにときめけるだけでも嬉しいなって気もしてきました。