Portraits of Roses

横浜イングリッシュガーデン(YEG)のバラを中心に様々なバラを紹介します

ジーン・ティアニー Geane Tierney

夏の暑さにも負けず

 

横浜イングリッシュガーデンの木陰エリアに咲いていました。
バニラアイスクリームを思わせる色合いがとてもすてき。

 

春の花 ↓

ジーン・ティアニー Geane Tierney

フランス 2006年以前
Dominique Massad 作出

 

作出者のドミニク・マサド(Dominique Massad)氏は、1955年、マルセイユ生まれ。フランスの名門バラ育種会社ギヨー(Guillot)の6代目に当たります。
ギヨー社で、ジェネロサシリーズの育種に携わってこられましたが、現在は独立されて、アンジェ近郊のナーセリー、ペタル・ドゥ・ローズが彼のバラを扱っています。

 

前回紹介したデビッド・オースチン氏が作出したバラは「イングリッシュローズ」と呼ばれています。ロマンティックで、優しげ、品がある。儚さや素朴さを感じさせるものもあり、命名が文学作品や歴史にちなむものが多いのもあって、いかにもイギリスのバラという雰囲気。

一方、ドミニク・マサド氏が作出するバラもロマンティックで、甘く、繊細。上品な華やかさ、艶を感じさせるところがフランスのバラらしい。

どちらもロマンティックな花姿ではあるけれど、醸し出す雰囲気は違う。育種家によって、作り出す花の傾向があって、面白いです。

オースチン氏は家族や友人の名前をつけたバラを多数作りました。
マサド氏は、今までに200種ほどのバラを作出しましたが、「自分の愛する人たちのためにバラを作ったことがない」と語っています。その理由は、「ぴったりのバラが見つからないから」。
う〜ん、完璧主義? ものすごいロマンチスト?
俳優ばりの美形な育種家が、愛する人の名をつけるバラがいつか誕生するでしょうか?

さて、こちらのバラの名前も人名です。
ジーン・ティアニー(Gene Tierney 1920-1991)は、1940年代にアメリカで活躍した美人女優。

その人生は波瀾万丈です。
ブルックリンで生まれ、コネチカット州のウェストポートで育ちました。
17歳のとき、家族で西海岸に旅行し、ワーナー・ブラザーズのスタジオを訪ねた際に、アナトール・リトヴァク監督から、女優になるべきと告げられたそう。
しかし、社交界デビューを望んでいた両親の反対もあり、ワーナーとは契約せず、後に、ブロードウェーで演技を学びました。いくつかの舞台を経験し映画界へも進出。

1943年には駆け落ちして一緒になった最初の夫、デザイナーのオレグ・カッシーニとの間に女児をもうけますが、おそらくファンから移された風疹が原因で、生まれた子供には障害がありました。
この女優に起こった悲劇がアガサ・クリスティーの小説『鏡は横にひび割れて』のインスピレーションになったそうです。

その後カッシーニとは離婚、ティアニーは躁鬱病を抱え、ショック療法なども度々受けるようになっていました。施設から抜け出したり、自殺未遂も起こしています。
うつ病治療を終えて退院し、社会復帰を目指して、地元のドレスショップで販売員をしていた時には、客にバレて、新聞にセンセーショナルに取り上げられたことも。

なかなかに大変な人生ですが、そんなでも、そんなだから? 恋も多くて、大統領になる前のジョージ・F・ケネディ、カーク・ダグラス、スペンサー・トレイシー、アリ・カーン王子などとお付き合いしています。美人は放っておかれないものですね・・・

精神面の不安定さから演技に集中できず、降板したりで、40代前半で引退。
1960年に2度目の結婚。お相手は、テキサスの石油王W・ハワード・リーで、1981年にリーが亡くなるまで結婚生活が続きました。

 

次回は夏のYEGの中でも特に元気に咲いていたピンク色のバラを取り上げます。