Portraits of Roses

横浜イングリッシュガーデン(YEG)のバラを中心に様々なバラを紹介します

ラグーン

ラグーン Lagoon

イギリス 1970年
Harkness 作出

 

春バラシーズンに横浜イングリッシュガーデン(YEG)を訪れると、溢れかえるような花に圧倒され、舞い上がり、浮き足立ってしまうのですが、秋は春に比べて花数が少なくて、落ち着いてバラ一輪、一輪の美しさをしみじみ味わえる気がします。

 

YEGで、バラを撮影するようになったのは3、4年前からですが、花の状態の良いものを優先的に撮っていると、毎年撮りこぼしてしまうものがあって、この「ラグーン」も2023年の5月に一枚写真↓ を撮っただけでした。

先日、YEGを訪れて、秋の日差しの中で咲いている姿にハッとしました。
控えめながら、澄んだライラック色が美しい。

名前の「ラグーン」の命名の経緯については、調べても出てきませんでしたが、「ラグーン」とは、砂州やサンゴ礁などにより外海から隔てられた水深の浅い水域のことをいうそうで、日本語だと「潟」「潟湖」「礁湖」。

花色や一重のフラットな花姿からのイメージによる命名でしょうか?

 

日本でラグーンに該当する場所では、北海道のサロマ湖に一度だけ行ったことがあります。
会社の先輩との二人旅でした。
もう40年近くも前で、湖全体の姿がどんな風だったのか思い出せないのですが、湖畔をレンタサイクルで回った時のことはよく覚えています。

道の傍に野草の花が咲く美しい風景の中、気持ち良いサイクリングを始めました。
しばらく走ると突然、茶色の大ぶりな鳥(ワシ、タカ、トンビの類)が我々の頭を掠めるように急降下してきたので、びっくり。しばらくの間、まるで付け狙うかのように、頭上を飛んでいたので、怖くなりました。

ごくたまに車が通るものの、人影は皆無。かなりの距離を走っても、行き当たる人もいなくて、湖畔の砂地に朽ちかけた小舟が打ち捨てられているのを目にして、心細くなってきたところに、霧がサーっとかかってきたのでした。
それは幻想的で美しい光景でしたが、何やら「この世とあの世の境」」にでも迷い込んでしまったような、恐ろしい気もしてくるのでした。
みるみるうちに霧が濃くなって、視界が真っ白という、それまでに経験したことがない状態になって驚いていると、霧の中に、ボワーっと明かりが浮かんだかと思ったら、突然車が現れて、肝を冷やしました。
いつ事故が起こっても不思議のない感じ。うっかりしたら、本当に「あの世」行きでした。

あの夏の北海道の旅は、今思うと結構な珍道中でした。
網走の刑務所近くに宿泊した夜、夏とはいえ、ひんやりとした夜気の中を歩いていると、暗い川べりの電話ボックスに明かりがポツンと灯っているのが見えました。
近づいて見ると、扉が開いており、中には人がおらず、受話器が外れてぶら下がり、揺れていたのでした。
先輩と二人、震え上がり小走りで宿へ帰りました。

層雲峡の黒岳に登って、もう少しで目的地へ辿り着くというところで、雨が降りだし、仕方なく下山したのだけれど、滝のような雨になり、帰りの山道はまるで川状態。私は何度も滑って尻餅をつき、先輩はなんとか滑らずにきたのに、一回派手に滑って、背中まで泥だらけ。
下山してドロドロの我々を見て、地元民らしきおじさんに「どこで、しろかきしてきた?」と言われて「?」。
聞いたこともない言葉で、何を言われているのかわかりませんでした。
後で知ったのですが、「しろかき(代掻き)」とは、田植えに備えて田んぼの土をならすことでした。

たしか町営の地元民専用のお風呂へ行って、入らせてくださいとお願いしたら、出てきたおばさんが、その姿じゃ断れないわね〜という感じで入れてくれたのでした。

一途で、向こう見ずなところがあるようでいて、意外と繊細だった先輩は、早くに亡くなってしまいました。
断片的な記憶になってしまった旅の思い出を先輩と会って、答え合わせしたかったな〜

 

 

横浜イングリッシュガーデン 秋バラとXmasデコレーション

久しぶりに横浜イングリッシュガーデンに行ってきました。

秋バラが見頃を迎えています。
今年はハロウィーン・デコレーションを見逃してしまいましたが、早くもクリスマスの飾り付けがされていました。


8メートルの本物のもみの木にデコレーション。

 

ローズトンネルの入り口にはシルバーツリー

 

広場にも撮影スポット

 

午前中晴れていたので、一日いい天気になりそうと出かけてきたのですが、午後からは晴れたり曇ったり雨がぱらついたりと、変なお天気でした。

色づいた木々や秋の草花も楽しめました。

秋色のコリウスもたくさん

 

楽しく、おしゃれな同系色合わせ 

 

ローズヒップもいっぱい

 

秋バラ、いろいろ咲いていました。
もう紹介したバラは撮らなくてもいいか、と思いながら、やっぱり撮ってしまう「レディ・エマ・ハミルトン」

本当に春も秋も美人。

 

次回からまた個別のバラを取り上げて行きます。

おぼろ月夜

おぼろ月夜 Oborozukiyo

日本 2012年
河合伸志 作出

 

おぼろ月とは、「ほのかにかすんで見える月」のこと。

唱歌の「朧月夜」の歌い出しが、「菜の花畑に入り日薄れ〜」で始まるように、おぼろ月の季節は春です。

なんとなく、「おぼろ月」というと満月を思い浮かべますが、月の形は問わず、三日月でも「おぼろ月」と呼ぶのだそうです。

 

水蒸気の多い春の夜空に、ぼんやりとにじむように光る月は、幻想的。

淡い黄色にほんのり赤みがさして、優しげなバラ。
はっきりしない花色とも言えるけれど、「おぼろ月夜」という名付けが絶妙で、ゆかしげに思えます。

このバラはドイツのコルデス社の「タイフーン」というオレンジピンクのバラの枝がわりだそう。
枝変わりというのは、突然変異によって、花色・花形・樹形などが親株と異なる性質を持った枝が現れる現象をいいます。

 

ところで、おぼろ月夜の写真を撮った時に、そばにオレンジピンクの花が咲いていて、別のバラだと思っていたのですが、どうも同じ株から咲いている?

先祖返りしたのかな?

 

「おぼろ月夜」はYEGのローズ&シュラブガーデンに入った左手の黄色いバラを集めたエリアの先の方に植っています。
YEGには「タイフーン」も植っていて、こちらは、ローズ&シュラブガーデンに入った右手側、オレンジ系のバラが多いエリア。レディ・エマ・ハミルトンの近所に植っています。

こちらが「タイフーン」↓

バラの枝変わりは完全に安定していない場合が多いので、先祖返りは珍しくないそう。
同じ花型でも色味で随分雰囲気が違いますね。

 

田毎の月

田毎の月 Tagotonotsuki

日本 2008年
吉池貞三 作出

 

他のバラには、あまり見ない黄色、透き通るような冴えた色で、和の趣があり、黄色のバラの中で特に好きなバラです。

下の写真は、赤みが強く撮れてしまいました。

 

「田毎の月」とは、長野県の冠着山(かむりきやま)の麓の棚田に映る月のことを言うそうです。

冠着山の別名は「姥捨山」。姥捨伝説の舞台です。
平安時代からこのあたりは、月の名所として知られ、その光景が歌に詠まれてきました。
江戸時代には俳諧で題材になり、棚田の一枚一枚に映る月の姿が絵に描かれました。

 

歌川広重「六十余州名所図絵 信濃 更科田毎月 鏡台山」

実際にはこんな風に幾つもの月は見えないのですが、田んぼに一つ満月が映っているだけでもしみじみした眺めでしょうね。一度見てみたいものです。
千曲市では、「信州さらしな・おばすて観月祭2025」が10月4、5、6日に行われるそうです。
別の日程で、日没から行く、月見散歩・ムーンウォークやコンサート、句会などもあるそう。
楽しそうですね。(信州千曲観光局参照)

 

バラの「田毎の月」を作出された吉池貞三氏は、昭和6年、長野県生まれ。岩手のリンドウの育成、産地形成に尽力された方です。

バラには退職後から取り組まれたそうですが、バラとの出会いは、大学生の頃。
園芸店でアルバイトをしていた時に、バラの苗を売っていたのを自分で買って、長野の実家の庭に植えておいたところ、夏休みに帰ってみたら、黄色のすごくいい花が咲いていた。
それが、キュリー夫人から名前をとった「マダム・マリー・キュリー」で、バラに非常に興味を持った最初だったそうです。

長野出身の吉池氏が岩手で働かれることになったのは、千葉大学の同級生で花巻から来ておられた方がいて、その方のお誘いがあり、盛岡の農学校で教鞭をとられたのが始まりでした。
7年間、先生をなさって、盛岡で産業になるような花をつくろうということで、リンドウに取り組むことになったそうです。
野生のリンドウを採取して育て、掛け合わせて品種改良し、品質の良い、そろったリンドウを生産できるようにしました。
今では岩手のリンドウは、国内でのシェアは59.3%に上り、海外にも輸出しているそうです。

 

バラは最初は趣味でなさっておられましたが、70歳すぎから本格的に取り組まれ、コンクールにも出品、多数の賞を受賞されています。

花巻出身の宮沢賢治にちなんだ名前のバラを多く作られていて、「雨ニモマケズ」シリーズや「イーハートーブ」シリーズなども。
横浜イングリッシュガーデンでは、ローズ&グラスガーデンにあるアーチにラークアセンディングと一緒に絡めてあるアプリコットの美しいバラ、お孫さんのお名前をつけた「真宙」やローズ&シュラブガーデンの小道沿いには、愛犬の名前をとってつけた「ファミー」なども植っています。

 

ムーンスプライト

ムーンスプライト Moonsprite

アメリカ 1956年
Herbert C. Swim 作出

 

前回に引き続き月にまつわる名前をもつバラを取り上げます。

ムーンスプライトは、「月の妖精」といった意味合い。

爽やかで美しいバラですね。

作出者のスイム氏(Herbert C. Swim 1906-1989)はオクラホマ州中北部の主に果樹を栽培する小さな農場で育ちました。
最初のバラの記憶はその農場の庭に咲いていた赤と黄色のバラでした。
13歳の時に家族は街へ引っ越し、その後は果樹やバラとはあまり関わっていませんでしたが、高校から大学へ進学するのに、現在のオクラホマ州立大学農学部を選び、植物遺伝学などを学びました。
卒業後に幾つかの職を経て、アームストロング・ナーセリーズに入社し、遺伝学の知識を活かして、バラの育種に取り組み、数々のバラを生み出しました。
15年間、アームストロング社の研究部長を務めたのち、スイム氏は、愛する植物の育種よりも管理業務に携わることが多くなったのに気づき、48歳で同社を去って、ウィークス・ホールセール・ローズ・グロワーズのオーナー、オーリー・ウィークス(Ollie Weeks 1912-2002)と共同経営を始めました。
1964年、スイム&ウィークス作出で「ミスター・リンカーン」「キャメロット」を発表し、AARS賞を受賞。
横浜イングリッシュガーデンで、早くから見事に咲く「エンジェルフェイス」もスイム&ウィークス作出です。

1967年、健康上の問題もあり、引退も考えたスイム氏は、ウィークスの同意を得て、パートナーシップを解消し、アームストロング社でパートタイムの仕事に戻り、新しい研究スタッフのトレーニングを手伝って、後進を育てました。
その中の一人、アーノルド・エリス(A.W.Ellis)と作出した「ダブルデライト」は殿堂入りのバラとなりました。

スイム氏は自身の著書の中で、「44年近くにわたるキャリアを振り返ると、主にバラとともに歩んできた私は、ひとつの夢を実現しただけでなく、次から次へと夢をかなえてきたように思う」と綴っています。

バラに尽くし、報われた人生ですね。

 

ところで、8日の月食は、東京からは肉眼でもよく見えました。
月がだんだんと欠けていく様子や、地球の影に覆われて赤黒くなるのを楽しめましたが、私のスマホ撮影の力量では、これが限界でした ↓

 

ブルームーン、レッドムーン

先ほど、夜空にほとんど満月に見える、大きな月が上がってきました。

8日には、「コーンムーン」と呼ばれる満月になります。
米農事暦によると9月はトウモロコシの収穫期と重なるので、そう呼ばれるそう。


そして、今夜日付が変わったあと、1時27分から、部分食が始まり2時30分から皆既食に入ります。
それぞれの軌道にある太陽、地球、月が一直線に並び、月が地球の影に入って、細くなってゆき、やがて完全に地球の影に覆い隠されます。

そんな夜にちなんで、今回は、月に関する名前のついているバラを取り上げます。

 

ブルームーン Blue Moon

ドイツ 1964年以前
Mathias Tantau,Jr.  作出

「世界で初めての青バラ」として有名になった品種です。

英語で、"Once in a blue moon" は、「滅多にない」「ごく稀な」という意味のイディオムです。
このバラ「ブルームーン」の花言葉も「奇跡」「幸せの瞬間」「神の祝福」といったものがあがっています。

天体の方の「ブルームーン」は解釈が色々ありますが、最近は一般的に、一ヶ月に2回満月が見られることを言うそうです。

 

そして、こちらは「レッドムーン」

レッドムーン Red Moon

日本 2002年
寺西菊雄 作出

 

イタミローズガーデンの園主を務められた寺西菊雄氏のバラ。
叔父さんの影響でバラの道へ入り、「天津乙女」「マダムヴィオレ」など数々のバラを育種されました。

 

前回の皆既月食は、2022年の11月8日。
この時は、19:16から皆既食が始まったので、勤め帰りの路上で、その辺りにいた見ず知らずの人たちと一緒に眺めた覚えがあります。

あちこちで、たくさんの人が空を見上げている光景を想像すると何というのか、「はるけき想い」とでもいうような気分になります。

月を見上げる時、あの人もどこかでこの月を見ているかも・・・と、思ったりすることは、誰もが経験していそう。
「あの人」はそれぞれだけど、時には、実際には会ったこともないスーパースターのような遥かな存在でも、月を介して、つながっているような気になったり。
月を詠んだ歌や詩や曲など、月を通して過去に生きていた人たちとさえつながった気持ちになる。
人類の誕生の時から、月にはあまたの人の想いが託されてきたのでしょうね。
今夜も各地で様々な人の想いが月に寄せられるのでしょう。

さて、今夜の天体ショー、見られるかな〜 

サー・セドリック・モリス

サー・セドリック・モリス Sir Cedric Morris

イギリス 1979年以前
サー・セドリック・モリス 発見

 

写真は先日、横浜イングリッシュガーデンに行った時のものです。ローズヒップがたくさんできていました。

 

春の開花シーズンは、人気の写真スポットになります。

発見者で、バラの名前の由来となっている人物、サー・セドリック・モリス(1889-1982)は、イギリス、ウェールズ出身の画家、園芸家、植物育種家。
特にアイリスの育種で知られている方です。

1937年にパートナーであった画家のアーサー・レッツ=ヘインズ(Arthur lett-Haines)と共にエセックス州テダムに美術教育機関、East Anglian School of Painting and Drawing を設立しました。
1年以内に60人ほどの生徒がいたそうですが、1939年に火事により学校が焼失したため、サフォーク州・ハドリー近くのベントン・エンド(Benton End )と呼ばれる邸宅と庭園に移転。生徒たちの多くは、ここで寝泊まりし、彼らの生活の場ともなっていました。

学校は反階層主義、反家父長主義であり、規則はほとんどなく、性的開放と芸術的開放の場を提供していました。
レット=ヘインズは学校の運営を担当し、1日2度の食事の調理も行っていたそうです。
1940年代から1950年代にかけて、ベントン・エンドは、最盛期を迎え、「芸術と文学、おいしい食事、そして活発な会話の拠点」として、芸術家、作家、園芸家などが集う創造的コミュニティを形成していました。

ベス・チャトーもここを訪れ、感銘を受け、著作の中で、その庭について『・・・色彩、質感、形が混じり合い、目がくらむような、心を揺さぶられる、驚くべきキャンバスだった』と記しています。

イギリスの作家、エッセイスト、編集者であったロナルド・ジョージ・ブライズ(1922-2023)は、ベントン・エンドの雰囲気を「力強く粗野でありながら、同時に優美で繊細でもある。荒削りでありながら上品。そしてほのかな危険性を秘めている」と表現しています。

 

なんだか、小説やマンガ、映画など、創作のインスピレーションになりそうな・・・
実際、デザイナーのポール・スミスがサー・セドリック・モリスとパートナーのアーサー・レッツ=ヘインズの生涯や彼らの描いた作品からインスピレーションを得て、2021年のコレクションを発表しています。
「ふたりの自由でリラックスしたライフスタイル」が、コレクションのシルエットや素材使いに影響を与え、美しい花々の絵画作品を思わせるプリントなどに表現されました。

 

ファッションデザイナーつながりで思い出したのだけれど、2018年日本公開のドキュメント映画、『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』。
アントワープ郊外のお屋敷「ザ・リンゲンホフ」でパートナーのパトリックと暮らす様子ーー庭の草花を摘んで、調度に合わせ花器に生け込んだり、菜園の野菜やハーブを調理する姿など、セドリック・モリスとアーサー・レッツ=ヘインズの二人に重なりました。

著作権の問題があるので写真を載せられないけれど、Google検索で、「Cedric Morris & Benton End」で検索すると、セドリックの絵画や、セドリック&アーサーの写真が出てきます。
共にスーツ姿で、セドリックがペットのオウムを腕に止まらせている写真が麗しい。
ファッション誌の一面みたいです。
上記のエンド・ハウスを評した「力強く粗野でありながら、同時に優美で繊細でもある。荒削りでありながら上品。そしてほのかな危険性を秘めている」という言葉そのままにも思える姿が印象的です。

彼らが暮らしたベントン・エンドの屋敷と庭園は、現在ロンドン庭園博物館に寄贈され、新たに設立されたベントン・エンド・ハウス・アンド・ガーデン・トラストによって、邸宅と庭園の修復が行われ、園芸や芸術の学びの場としての再生プロジェクトが進んでいるそうです。

 

今年もまた、本当にきつい夏。
残暑がいつまで続くのか・・・それでも、いずれはローズヒップが色付いて、美しい景観を見せてくれるでしょう。

↓ 写真は昨年の10月下旬撮影