エナ・ハークネス Ena Harkness
イギリス 1946年
Albert Norman 作出
リッチな深い赤。
くるくると反り返る花びらが不思議な花形を作っています。
「エナ・ハークネス」という名前がどうしてついたかには逸話が残っています。
このバラを作出したアルバート・ノーマン氏(Albert Norman)はアマチュアのバラのブリーダーでした。
本職がちょっと変わっていて、ハットン・ガーデン(Hatton Garden)でダイヤモンドカッターをしていました。
ハットン・ガーデン(Hatton Garden)は、ロンドンの宝石街で、イギリスのダイヤモンド取引の中心地。セントポール大聖堂から歩いて15分くらいのところ。
現在でもこのあたりに、多くの宝飾産業、宝石店が集まっています。
ノーマン氏は宝石加工の仕事をする傍ら、趣味でバラの交配を行っていました。
交配してできたいくつかの苗木を家族ぐるみの友人だった、ローズナーセリー・ハークネスのウィリアム・ハークネス(William Harkness)氏に託し、育ててみて価値があるものがあるかみてほしいと頼みました。
翌年、それらの苗木にいくつかの素晴らしい花が咲きました。
ノーマン氏はその中でクリムゾン・グローリーとサウスポートを掛け合わせてできたバラに、ウィリアム・ハークネス氏の名前をつけようと考えました。
しかし、ウィリアムさんは、自分はでなく、妻「エナ」の名前をつけてほしいと頼んだのでした。
そうして、このバラに「エナ・ハークネス」という名前がつきました。
バラの名前にはこのようにバラの育種者の友人や親族の名前がつけられたものがたくさんあるのですが、育種者自身についてはまだしも、育種の仕事に関わっていない家族については、ほとんど情報がなく、エナ・ハークネスさんが、どんな人なのかもわかりません。
Pamela Rose Shields著 "Harkness Roses -The stories behind the names" という本がデジタルで公開されていて、それをGoogle翻訳でつまみ読みしたところによると、ウィリアム・ハークネス氏(William の愛称が Bill なので、ビル・ハークネスと表記されることもある)は2度結婚されているようで、最初の妻は、Edithさんという方。
Edithさんは、1921年にお気の毒なことに、ビール樽を移動中に怪我をされ、亡くなられました。
その前年の1920年には、ウィリアムさんの父・ロバートさんが、馬を厩舎に連れて行こうとした時に、雷に打たれ、間も無く亡くなったそうで、ウィリアムさんには大変な傷心の時期を過ごされたのではないかと思います。
この頃にバラの栽培に本腰を入れようと住居を移されています。
その後、1932年に再婚されました。この方がエナさんなのではないかと思うのですが、確証が得られませんでした。
二人目の妻は、結婚してから7年後の1939年に亡くなったとあります。
だとするとウィリアムさんがバラの名前に妻の名を、と言った時には、もう妻(エナ?)は亡くなっていたことになります。
バラは1940年頃に作出され、1946年にハークネスから紹介されています。
ウィリアムさんには少なくとも二人の娘さん、メアリー(Mary )とイザベル( Isobel )、
それにバラの事業を引き継いだ息子のピーター(Peter)さんがいました。
アルバート・ノーマン氏は、ウィリアムさんの次女の名をつけた「イザベル・ハークネス」というバラも作出されています。
ローズナーセリー・ハークネスが作出したバラにも家族の名前がついたバラがたくさんありますが、「アン・ハークネス」、「ローズマリー・ハークネス」、「エリザベス・ハークネス」はそれぞれ、お嬢さん方の21歳のお誕生日を記念したバラなのだそう。
21歳になったら自分の名前のついたバラをもらえるなんて羨ましいですね〜