Portraits of Roses

横浜イングリッシュガーデン(YEG)のバラを中心に様々なバラを紹介します

デンティ・ベス Dainty Bess

デンティ・ベス Dainty Bess

イギリス 1925年以前
Wm. E.B. Archer & Daughter 作出

 

 

一重の可憐なバラ。赤い花糸に金色の葯が美しい。
このバラは作出者のウィリアム・アーチャー(William Edward Basil Archer 1862-1950)の妻の名前にちなんで名付けられています。

デンティ(dainty)は「可憐な」「上品な」といった意味合い。
ベス(Bess)はエリザベス(Elizabeth)の愛称です。

 

ウィリアム・アーチャーは、1862年にヨークシャー州ブラッドフォートのホートンで生まれました。
彼の父(同名ウィリアム)は家具職人でした。ウィリアムも家具デザイナーになり、1901年頃には、妻のエリザベスと娘のミュリエル(Muriel Gertrude Archer 1900-1952)と共にミドルセックス州のフィンチリーに住んでいました。
趣味でバラ栽培を行っていました。
その後、1920年頃にケント州のモンクス・ホールトンへ引っ越します。

1925年「オフィーリア」と「キッチナー・オブ・ハルツーム」を掛け合わせて作出したバラを National Rose Society(Royal National Rose Societyの前身)の展示会に出品し、金賞を受賞しました。
それが「デンティ・ベス」です。

ところで、作出者の会社の名前は、「Wm. E.B. Archer & Daughter」。
社名の〜& Son、〜& Sons は、今までに何度も見ましたが、& Daughter は初めて見ました。

 

ちょっと横道にそれますが、2024年の国際女性デーを記念して、ロンドンを拠点とするグローバル金融テクノロジー企業SumUpが、イギリスの公式企業登録所であるCompanies Houseのデータを分析しました。

それによると、過去5年間(2019.2~2024.2)で、「&Doughater(s)」で登録された新規企業は114社で、1844年に記録が開始されて以来の総数は266社。

同じ期間で、「Son(s)」で登録された新規企業は2379社。記録が開始されて以来の総数は7022社。

「Son(s)」に比べれば「&Doughater(s)」は、全然少ないですが、5年間で75%(152→266社)増加しています。
「Son(s)」は51%(4643→7022社)増加。

 

イギリスで最も早くに登録された「&Doughater(s)」が名前につく会社は、1928年から2022年まで営業していたサリー州ケイタラムの魚屋「H Marment & Daughter」だそう。

Wm. E.B. Archer & Daughterの創業年は、わからないのですが、1920年代から1940年代にかけて30種近いバラを発表しており、ほぼ同時期かもしれません。

 

また上記のデータをふまえた記事が「The Guardian」に出ていました。

「& Daughter(s)」という名前をつける場合、全てではないにしても、ブランディングの一環であり、マーケティング戦略的な狙いがある。

 『「Son(s)」ではなく「&Doughater(s)」を使うことは、伝統を尊重しつつ未来志向であることを示し、家族の価値観を反映している』

 『従来と異なるタイプの顧客を呼び込んだり、開放感を醸し出すことができる』

たとえその会社に娘がいなくても、会社の運営方針や理念を象徴したり、男性中心の業界の中で女性らしさを強調するなど、イメージアップのために「&Doughater(s)」が使用されることもあるとありました。


初めて登録された「H Marment & Daughter」 の時代から1世紀ほど経った今でも、「& Daughter(s)」という名前は人々にインパクトを与えるようです。

現在、イギリスの中小企業のうち、女性が経営する企業は19%だそう。(日本は15.24% 東京商工リサーチ調べ )まだまだ少ないですね。

 

上記の記事には、建設会社で&Sons から &Daughters に社名を変更した人の談話が出ていました。
名前を変えてから10年たった今でも、週に1回は名前についてコメントをもらうのだそうです。

「仕事中に男たちが集まって座っていると、誰かが近づいてきて、『それで、あなたたちが娘さんなんですね』と言うんです。必ず笑わせてくれます。」
なぜか、みんな名前を気に入ってくれるので、信頼性が増すと思う、建築業界では目立つ名前で、女性のお客様からの電話も増えるのではないか、と語っています。

一方、Wm. E.B. Archer & Daughter の社名は、ある程度は名前のインパクト、親しみやすさなどを考慮していると思いますが、実際にウィリアム・アーチャーと仕事を共にしたのは、娘のミュリエルでした。
社名を& Daughter とするのは、ごく自然な流れだったかもしれません。

 

ウィリアムには、フローレンス、フランシス、マリーという3人の姉妹がいました。
ケント州のモンクス・ホールトンに移った際、妻、娘と共に二人の姉妹も一緒に引っ越してきたと記録にあります。
子供の頃から女兄弟と育ってきて、女性を尊重する気持ちが強かったかもしれません。

家族の中で「黒一点」。
権威的な家父長として振る舞う男性像も考えられなくはないけれど、こんなにすてきなバラを妻に捧げているし、娘の名前をつけたバラ「ミュリエル」もあります。

勝手な想像ですが、女性に敬意を払う紳士的で、愛情深い家族思いの男性像が浮かんできます。

妻のエリザベスについては情報がほとんどありません。日本のサイトでは、「彼女に、プロポーズの際にこのバラを捧げた」と書いてあるのが散見されるのですが、出所は不明。海外のサイトには全く出てきません。
また海外の個人のサイトで、ウィリアムの妻・ベッシー(Bessie)は、モンクス・ホールトンに移って間もない1920年に亡くなったとありましたが、このサイト以外で同じ情報はなく、確証が得られません。

ウィリアムは1950年に亡くなり、その後を追うように、娘のミュルエルも2年後の1952年に亡くなりました。